魚沼三山縦走

ハイキング

日程:5/3-6

メンバー:CL JamesⅢ SL ポンティーⅢ ドロップOB ヤンバルⅢ 判決Ⅲ クイニゲⅢ BidenⅡ 洛外Ⅱ

時間記録

5/3

06:00 越後三山森林公園

07:00 センノ沢出合

11:30 ブラック台地

13:30 池ノ塔

17:30 オツルミズ沢出合

21:00 駒の小屋

 

5/4

駒の小屋にて停滞

 

5/5

04:00 駒の小屋

04:30 越後駒ヶ岳

09:30 中ノ岳

14:00 オカメノゾキ

18:30 五龍岳

 

5/6

04:30 五龍岳

05:30 八海山(入道岳)

07:00 阿寺山

09:00 広堀川橋(登山口)

行動内容

金曜日の20時半に京都を出発。一路魚沼へ車を走らせる。敦賀辺りでドロさんから電話が入り、何事かと思って話すと、最終の新幹線を逃してしまったという。やってくれたなと思いつつ、越後湯沢駅で落ち合うことにし、1時間遅れくらいで登山口近くまで行ったら道路が残雪に塞がれていた。これによる歩きで更にプラス1時間。締めて2時間遅れで行動していく。センノ沢は出合より見上げる分には問題なく雪で埋まっており、今年の多雪に感謝したところである。高倉沢の雪渓の確認のため、James、ポンティー、判決、Bidenで偵察隊を出した。高倉沢本流の雪渓は大丈夫そうだ、問題は水無川の渡渉部。高倉沢出合のまさにその場所では水無川を渡す橋は落ちていたが、50mほど上流を見ると厚さ5m以上はあるだろうという立派なスノーブリッジが架かっていた。問題なく通行できそうだ。やはり多雪のおかげか。戻ってセンノ沢に入る。念の為間隔を開けて流芯を避けて登っていく。太陽が隠れているため、雪は締まっていてとても歩きやすい。標高700m辺りで沢は三俣になっていた。左俣には大きな音と水しぶきのみが見える滝が架かり、中俣は薮っぽい沢、右俣は雪渓が繋がっていた。意気揚々と傾斜の強い右俣に入るが、すぐにGPSがルート間違いを教えてくれた。水量を考えると、どうやら直登の絶望的な左俣が本流のようだ。

これは引き返しかと思いつつ、一応取り付けそうな中俣をポンティーと偵察に行くことに。木ヤブを潜り乗り越して進んでいくと右岸に鹿道を発見。導かれるままに進んでいくと小尾根を越えて雪の残る谷状に出た。さらにもうひと登りして、比高僅かな尾根をまた越えると、あっさり左俣に出た。雪の量も明らかに増して、安心である。三俣で待つみんなを案内して、更に進む。徐々に傾斜が増してきて、アイゼンに不慣れな者は苦労していた。振り返ると標高1000m弱まで上がってきている新緑前線と、不気味な岩峰と雪崩の茶色い跡で威圧してくる八海山があった。雪は標高1200mまで繋がっていた。尾根に乗り上がると、全く無雪の薮尾根が出迎えた。

意を決して飛び込むと、意外に薮の密度は薄く、簡単に道を開けてくれた。なんだ楽勝ではないかと鼻歌交じりに歩きたいほど上機嫌に進んでいくと、池ノ塔に100mほどまで迫ったところから事情が一変した。尾根上にはよくぞこの厳しい環境下でここまで育ったと感じるような太い針葉樹(名前分からない…)が通せんぼし、その隙間はイチイやシャクナゲが埋めていた。それからは長い格闘が始まった。枝を捻じ伏せ、時には潜り抜け、一歩毎に引っ掛かるアイゼンやピッケルにやり場のない怒りを覚える。

池ノ塔を越えても状況は好転しなかった。尾根の左側は200mはあろうかという絶壁で、右側は通行を許さない高圧の薮が塞いだ。我々が行くのは絶壁の縁のわずかに枝の薄い領域。正に死中見出された活路と言える。唯一の救いは切れ落ちた金山谷と雲の晴れてきた越後駒ヶ岳の展望ぐらいだろうか。池ノ塔から1400を越える無名ピークまでの500mに2時間を費やした。そこから200m先の露岩地帯まで1時間。この露岩地帯ではスリングを用いた腰絡みで荷物を下ろし、空身で岩場を下るということをした。オツルミズ沢へ下降できる鞍部を70m先に認めたが、到達には30分を要した。オツルミズ沢に降りたのは17時半。最早ヘッデン行動は確実となった。留まれば凍える夜が来る。進めば駒の小屋が、我々を待っているはずだ。進むより他に選択肢はない。皆疲れ切った体に鞭を打ち、覇気のない足取りで進んでいく。

やがて暗くなった。小屋までもう一息というところで、雪切れが行く手を阻んだ。しかしもう後には退けぬ。為さねば成らぬと覚悟を決めて右岸の笹薮に突っ込むと数分の格闘で水流を巻けた。この時は誰も気付かなかったが、クイニゲの片方のアイゼンがここで脱落してしまったらしく、二度と回収できなかった。21時前になってようやく小屋に着いた。GWにも関わらず、小屋は貸し切りだった。水も出ていた。銀マットと毛布もあった。その晩は皆、泥のように眠った。

翌5月4日、6時に外を見ると、霧雨、視程10mの悪天だった。天候回復までの沈殿を決めてもう一眠り。起きると判決主催のスプラッタ映画鑑賞会が開かれていた。阿呆か貴様は。Jamesは少し見ていたが最初に人が死んだところで脱落。また寝て起きるとコナン鑑賞会に変わっていたので今度は喜んで参加。面白かった。12時を回っても天候は回復せず、むしろ雨脚が強まっていたので今日は完全に停滞とした。午後はメンバー全員で人狼をしていた。

3日目の5月5日、午前2時に起床。風が強い予報だったので主稜線まで判決を偵察に遣ったが、大したことはなかったようだ。午前4時、アイゼンを紛失したクイニゲを残して7人で出発。クイニゲは片方ツボ足で銀山平に下ろした。登り始めてすぐに越後駒ヶ岳に登頂。朝の空気が気持ちよく、山復た山の圧巻の景色であった。主稜線の南下を開始する。東側に残った雪庇の残りの上は、締まっていてとても歩きやすい。

しかしクシガハナ尾根の頭を過ぎてからは残雪はほとんど消えてしまった。アイゼンで登山道を歩くのは、皆慣れていないし、何より普通に歩きにくい。さらに鞍部に近づくにつれ風が強くなり、一時は体が煽られるほどまでになった。いくつかのアップダウンを越えて、天狗平、檜廊下を経て中ノ岳へ。中ノ岳直下も雪が着いていて楽に歩けた。

 

残念ながら山頂だけ雲の中で、風もあって長居はできなかった。中ノ岳から御月山への下りは、視界がなかったのでコンパスを切った。コンパスを用いたナビゲーションについては、やはり分かっていない人が多くて不安を感じるところである。御月山との鞍部まではやや斜度の強い一枚の大斜面になっていて、慎重に降りていった。下部ではシリセードを試してみたが、タイミング悪く雪に日が当たり、柔らかくなってしまったので全然滑らなかった。

そのままの流れで御月山に登り返し、ピークに着いた時には天候はすっかり回復して暑いぐらいになっていた。最低鞍部に向けて500mも下っていく。

これがリポD登攀

すぐに雪がなくなり、露出した登山道をアイゼンの金属音を響かせながら歩く。出雲崎を過ぎたところで、一箇所急な薮の壁が現れた。雪渓に乗ることもできそうだったが、谷に向かって嬉しくない繋がり方をしていて、滑るとあの世行きの状況だったので懸垂下降をすることにした。薮がロープに絡んで多少苦労して、1時間弱を要した。これより先しばらくは雪がなさそうだったのでアイゼンを外して鎖や岩、枝にやや難アリの縦走路を進んでいった。最低鞍部のオカメノゾキを過ぎて登りにかかる。

薄い雪壁がリッジを塞ぐ

すぐに尾根上に残雪が細くリッジ状に残っていて、緊張する場面が出てくる。残雪処理の周りで雪壁の登下降を強いられ、不慣れな者は見ていて怖かった。日が傾いてくる中、気の抜けない道をゆく。今日も疲れている者は本当にバテバテで、ペースが上がらない。何とか明るいうちに縦走路を抜けて、18時に五龍岳に辿り着いた。緩斜面を整理して二張分のスペースを確保する。飯を食って、雪から水を作って、21時ごろ就寝。

最終日の5月6日は、最悪のスタートであった。2時に起きると、レインフライから聞こえないはずの音、聞こえてはいけない音が響く。外は予報にはない雨が降っていた。これでは雪崩が怖くて高倉沢へは行けない。濡れた鎖と岩では八ッ峰を越えていくのもダメだ。ここは阿寺山へ逃げるしかない。全員暗い気持ちで撤収を進め、4時半にすべての撤収を完了。この時点で、雲底は意外に高く、雨の降り方も何となく穏やかだったので、目前に迫った八海山登頂を諦めきれず、James、判決のアタック班とそれ以外の5人の下山班に一時的に別れて行動することにした。下山班の指揮はポンティーに一任した。アタック班は順調に残雪と薮を繋ぎ、5時半前には入道岳の山頂に立った。越後駒ヶ岳も中ノ岳も、薄暗い空の下に重厚な山容を見せてくれた。

この山に神がいるとすれば、ツンデレの女神様に違いない。登頂後は最高速で下山班を追いかけ、阿寺山で追いついた。

ここで下山後ランニングとヒッチハイクで車を回収しにいってくれるというドロさんに先行してもらい、後続は新緑を愛で、フキノトウを摘みながらゆっくり下りて行った。ヒッチハイクは4台目で一本釣りしたらしく、待ち時間ほぼなしで車に戻れた。学びが多く、しかし全体的には成功という満足感の高い山行になった。

下山飯として柏崎の中華料理萬来に行った。

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