鹿島槍ヶ岳 東尾根

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日程・行動概要

2024年3月6日:5:50大谷原〜7:00東尾根とりつき〜10:50標高1700m付近(引き返し)〜12:20大谷原

2024年3月7日:2:00大谷原〜3:00東尾根とりつき〜7:20一ノ沢ノ頭〜9:20 P2117m〜12:00第一岩峰基部〜15:20第二岩峰基部〜18:10標高2680m(ビバーク地)

2024年3月8日:6:00ビバーク地発〜7:00鹿島北峰〜8:10鹿島南峰〜11:00赤岩尾根の頭〜14:00西沢・北股本谷出合〜15:25大谷原

メンバー・学年:K岡Ⅲ(記)、スナメリⅢ、ドロさんⅡ、判決Ⅰ(※スナメリと判決は不調につき6日下山)

記録

3月6日ー撤退の日

 3時半に大谷原に着くが、眠すぎて車中で1時間仮眠、6時前に出発した。前夜泊が面倒なので最近は専ら遅出して前夜泊なしで出発していたが、メンバーには不評だし、いつも眠いのでやはりちゃんと早出して前夜泊すべきだろう(もっと早く気づけよと自分でも思う)。

 林道を歩くこと1時間、ようやく東尾根のとりつき。ワカンをつけて登る準備をしていると、スナメリから「俺ヤバいかもしれん」と申告される。林道歩きで一人遅れている時からまさかとは思いつつ気付かないふりをしていたが、恐れが現実のものとなった。先日の火打山で膝を痛めたことは把握していたが、流石に行けるだろうという望みは脆くも崩れた。3日間歩くのは無理そうだがめっちゃ行きたいという悲痛な叫びを聞きつつ、スナメリは一人で車に戻ることに決まる。我が隊屈指のラッセルマシーンが開始1時間にして離脱(4人しかいないので全員屈指なのだが)。今シーズン重ねてきた練習山行を思うと無念の一言に尽きる。

 気を取り直して3人でラッセルを開始する。直近の降雪で膝以上のラッセルが続く。傾斜がつくと腰ラッセルになり時間がかかる。ブナ林の尾根上をジワジワ前進するが、いつも元気な判決が妙に遅い。最後尾でついてくるのがやっとというペースなので調子を聞いてみると、体調が良くないという。しばらく様子を見つつ歩くが、かなり苦しそうでペースは上がらない。標高1700mで今後の方針を話し合う。判決はラッセルに参加できる体調ではないし、今日早めにテント泊しても明日回復するかは分からない。不調者を下ろすのが最優先なので下山を決定。あっけない幕切れだった。4時間弱かけた登りも下ってみれば一瞬で、全然進んでいなかったことに絶望する。

 大谷原でスナメリと5時間ぶりの再会を果たし、寒いのでひとまず温泉に向かう。湯船につかりながら今後のことをぼんやり考える。ドロさんと二人で再度入山できるか?好天は8日午後までなので、行くなら明日未明に出発して2日分の行程を1日でこなすしかないが、今日のラッセルのペースを考えるとかなりきつい。15時間以上の行動になりそうでとても気が重い。こんな暖かい湯船につかって下山気分に浸ってしまった後で気合いを入れ直して確実に辛い行動へと我が身を使役する精神力が自分にあるとも思えない。やはり1日の遅れを取り戻すのは現実的でないだろう。

 風呂から上がって話し合いをするが、ドロさんからまさかの「二人で再入山」希望が出された。マジですか…?行かない方向で納得しかけてた分、逆に再入山とか気が滅入って腰が上がらないんですけど…と内心の呟き。待ち受ける行程の時間的厳しさ、ラッセルの厳しさを確認した上でも、ドロさんの決意は揺るがない。ここまで後輩にやる気を見せられたら、敗退こみでも行ける所まで行くのが先輩のあるべき姿では?という妙な律儀さを発揮してしまい、二人で再度入山することを決定した(あるいは自分は意識下に苦行を求めていたのかもしれない)。

 スナメリと判決を松本まで送ってから夕食をとり、大谷原に戻って車中泊。今日1日で割とお疲れだったのでよく眠った。

 

3月7日ー大谷原〜第二岩峰

 1時起床、2時出発。一応6時間は寝たはずだがやはり眠い。林道を歩き、東尾根にとりつき、昨日自分達で築いたトレースを辿ること1時間20分、昨日の引き返し地点に着いた。いつにも増して体が重い気がするが、昨日4時間弱かけた登りなので、トレースをつけた甲斐があったというべきだろう。ここから二人で膝上以上のラッセルを回し続ける。時間が惜しいので二人同時に休むことはせず、一人がラッセルしている間に休憩し、追いついて交代するという流れを繰り返す。あと二人、せめてあと一人ラッセル要員がいればもう少し休めただろうか、などと未練がましい想像が頭から消えない。7時20分に一ノ沢ノ頭着。やはり長かった。この分だと予定通りの行程はかなり難しい。厳冬期に東尾根往復していた記録もあるし、今日は第二岩峰の下あたりで泊まって明日頂上往復で同下降という選択肢もあると考えていた。

 一ノ沢ノ頭を過ぎて、予想外にペースが上がった。樹林帯を抜けてラッセルが膝程度の深さで落ち着いたためだ。次第にガスも切れ、荒沢奥壁が姿を現す。厳しくも美しい姿にテンションが上がる。目指す第一・二岩峰も見えてきたが、本当に登れるのかと思うほど尖っている。歩きに終始するかと思っていた第一岩峰までの登りも、意外に雪稜らしい風情を帯びてきた。ちょっとした雪壁が三箇所ほど出てきたがいずれもノーザイルで突破。アイゼンに履き替えたい気もしたが、すぐにまた長いラッセルが続くのが明らかなので少々無理してワカンのまま登る。ドロさんもうまく対応してくれて安心だった。

↑森林限界を抜け、第一岩峰、第二岩峰が見えてきた。右手にはアラ沢奥壁。

 9時20分、2177mピークに達する。一ノ沢ノ頭から二人としては悪くないペースだ。快晴になり暑い。展望も素晴らしいが、主稜線東面には途切れることなく続く巨大な破断面が見える。直近の気温と積雪を見ていればある程度想像はつくが、恐ろしいことこの上ない。小休止してドロさんに追いつこうと歩き出すが、先行するドロさんのトレースが雪庇に近くてかなり怖い。すぐに伝えたい所だが、間が離れて中々追いつけない。二人パーティーだとこういう所でしわ寄せが来るのが怖い。やはり3回生がもう一人いると安心だった。ドロさんにアドバイスしてからなおも二人でラッセルを回し、第一岩峰手前の急登に差し掛かる。岩場が出てきたので左の雪面からまき登るが、雪崩が怖いので一人ずつ通過。フットペンで何となく雪の状態は分かるが、やはり念の為ロープを出すべきだったか。スピードを要求されるアルパインでは難しい所だ。コンテも一長一短だし、考えどころが多くて難しい。

↑第一岩峰を目指す。

 正午に第一岩峰基部着。ここまで来てようやく計画通りの行程を貫徹できる気がしてきた。第一岩峰は近くで見ると、岩の左手が意外に緩い雪面だった。これならドロさんがリードを買って出るのではと思い聞いてみたら、即行で拒否された。アイゼンに履き替えK岡リード。スノーバーとブッシュをランナーに50m一杯伸ばす。さらに念の為もう1ピッチ伸ばして広い雪面に抜け、第一岩峰を順調に越える。しばらく雪稜を進むが、雪庇に気を使うとともに高度感も出てきた。疲労と眠気はすでにそのピークを過ぎたようで淡々と登る。

 夕方に差し掛かる15時すぎ、第二岩峰着。やっと最後の核心部だ。日没まではあと3時間、日の出ている間に南峰を越えて主稜線上でテント泊できる見込みがたった。核心部の凹角が見るからに難しそうだが、気合いを入れて第二岩峰にとりつく。出だしは細いスノーリッジで、リッジをまたぎたい所だが、雪庇が出ておりルーファイに気を使う。スタンスの雪を崩さないよう慎重に登り、トライカム2本とスノーバー2本を決めてリッジを通過。左の凹角に入り込むべくトラバースするが、体を外に出すのが何とも怖い。残置ハーケンを精神安定の材料にしてトラバースをこなす。凹角に突入して雪面をつめ、出口を塞ぐ岩と向き合う。とりつきからもそれとわかる核心部だ。取り付けば戻れないことは分かっているので、時間をかけてホールドとスタンスを観察する。念の為ザックをデポ。いつまでももじもじしていられないのでカム2本とハーケンをしっかり決めてから、覚悟を決めてとりつく。

 今思い返すと、ここのムーブは昨年のアイトレで登った不動岩の砂かぶり(Ⅳ+)によく似ている。凹角を詰めて足をはりながら最後に体を外に出し、足を切るようにして傾斜の強い出口を越えるムーブが同じだ(結構頻出のムーブかもしれない)。恐怖と気合いでワンムーブごとに吠えるというあまりにダサい登りだったが、外面を気にしている余裕はなかった。精魂尽きて岩峰トップのリングボルトに辿り着き、フォローを迎える。下からみた感じボディビレイもあるかと思っていたが、ボディビレイしたら二人して落ちるのが明らかだったので、残置様様である。ドロさんはピッケルのシャフトが折れながらも(!)、K岡のザックもろとも這い上がってきた。何でこの人はこんな状況でこんなガッツがあるのだろうと不思議に思う(補足すると、第二岩峰の岩場は左の雪壁を繋いでまき登ることができる。こちらの方が易しいが、雪崩リスクが高い。今回の積雪コンディションでは、登れそうでもあり、怖くもあり、微妙だった)。

↑P2177mから望む第二岩峰。スカイライン上を登った。

 予想外に難しい登りに時間が飛ぶように過ぎ、第二岩峰を越えた時、日没まであと10分になっていた。残照が弱まり夜の闇が深まる時間、切羽詰まったパーティーリーダーが一番焦る時間帯でもある(なぜか日没後は腹が座る)。闇の中稜線を歩く訳には行かないので、明るいうちに泊まれる場所を見つけ出したい。雪稜を歩くが傾斜地ばかりでテント泊が難しそうなので雪洞泊に決める。日没後10分ほどで適地を見つけ、全力で雪洞を掘る。40分ほどで二人前の雪洞を完成させ、中に入ったのは19時。16時間行動からの2680mでのビバーク。二人とも疲れてしばらく放心していた記憶がある。防風は完璧だが標高が高いため寒い。夕食を食べて寝る。

 

3月8日ー登頂と下山

 朝食のお茶漬けを食べて雪洞の外に出ると、すでに黎明だった。どんなに辛いビバークの後でも、翌日朝日を見れば希望が湧いてくる。もしビバーク中に小松左京の『夜が明けたら』的な世界観に突入したら、僕はショックのあまり頓死するかもしれない。

↑夜明け。北峰へ。

 天狗尾根と合流し、朝日を背に雪稜を登って北峰に達する。小休止後、吊尾根を歩いて南峰へ。最後の登りが一歩ごとにしんどい。南峰でドロさんと握手し、写真をとる。雲海が壮絶で、この世には空と雲と山しかないような雰囲気だった。剱がいつにもまして神々しく見える。ここから黒部横断して剱に立ったら、人はどんな思いを抱くのだろうかと取り止めもなく夢想する。

 重い体を引きずるように主稜線を南下する。疲れ切っていても下りは早い。雪も飛ばされている。途中でワカンに履き替え、冷池山荘を越えて赤岩尾根の頭へ登りかえすが、短い登りがこたえる。赤岩尾根の頭で少し長めに休み、剱を見納める。

 赤岩尾根上部は最後の危険地帯だ。どこを選んでも必ずいやらしい斜面を通ることになるので、ピッチを切って一人ずつ下る。最初に立木まで降り、次に比較的安全そうなデブリ上を通り、最後にオープンな斜面を横切って明確な尾根に乗った。フットペンで雪を探りつつ、可能な限り安全なルーファイを心がけ、ソフトに迅速に歩くのが肝要だが、それでも博打要素の強い怖い斜面。今思えば、ここはアンカーをとりつつロープを出した方が堅実だった。もう少しで安全地帯に入れるというときこそ、気が焦って危ないものだ。下山間近であればこそ慎重を期すべきだったと反省する。

 危険地帯を抜け、ひたすら尾根を下る。踏み抜きが多く、ブッシュに足を取られ歩きにくい。あと数百mで林道というところで4人パーティーとすれ違い、ここから今回初めて他人のトレースの恩恵にあずかる。尾根を下りきり、北股本谷を飛び石伝いに渡渉して林道に出る。側壁からのデブリでトレースが分断されている場所も散見され最後まで油断ならない。二人とも疲れ切っていたが、相手は元気みたいだし待たせては申し訳ないと勘違いして無理やり歩き通す。15時半、駐車場着。ようやく全てが終わった。肩の荷が降りた気もしたし、いつも通りのなんてことない下山の一コマのようでもあった。

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